弘田三枝子の整形画像&動画
今更ながらですが、本日は弘田三枝子さんです。
現在では、TVなどの露出が少ないので、知らない方も多いのではないでしょうか。
うちの親の時代の方なので、私もリアルタイムでは知りませんが、
1960年代、和製アメリカンポップスの大ヒットを飛ばし、
当時「日本女性歌手史上最高の歌唱力」と評価されていたそうです。
プロフィール
弘田 三枝子 (本名:高木 三枝子) 1947年2月5日生まれ 東京都世田谷区池尻出身
1961年、「子供ぢゃないの」でデビュー。当時14歳
1965年7月、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。
1969年、美容整形とダイエットで以前の面影が無くなり、世間を驚かせる。
「人形の家」で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。
1970年、「ミコのカロリーBOOK」を出版。150万部を超える大ベストセラーになる。
紅白歌合戦7回目の出場。
1973年、ブルガリア音楽祭に出場。
1976年、10年ぶりのリサイタル「Mieko in peason]を開く。
1977年、私生活で、不倫相手でギタリストの杉本氏の妻に果物ナイフで刺される。
杉本とは一昨年夏から不倫しており、杉本氏の妻は目黒区の弘田が住むマンションの前で
待ち伏せ、 タクシーから弘田と杉本が降りて来たところを、ナイフで弘田を背後から刺した。
弘田は右の脇腹に5cmの傷を負った。
アメリカに渡米。
アメリカ滞在中に結婚し、女の子を出産するが、すぐに離婚。
1980年、娘と共に帰国。
ここ近年は、おもにディナーショーなどの活動をしている。
TVでは、懐メロ番組などに登場し、
その他『徹子の部屋』 『たけしの誰でもピカソ』 『流派-R』etcに出演。
2006年、レコードデビュー45周年を記念して
「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売。
同年、22年ぶりの新曲、「恋のクンビア21」 を発売。
2007年、「MICO JAZZING」が、東南アジア13カ国で発売決定。
弘田三枝子 オフィシャルブログ・ミコブロ は、ほぼ毎日更新されている。
それでは、画像に行ってみましょう! (当時のです)
Before → After

Before → After

Before

After

整形前、けっして美人ではなかったけれど、ブスという訳でも無かった彼女が、
数年間、メディアから姿を消して再びあらわれたときは、
ぽっちゃり体系から、ほっそり体系になり
外人のような顔に変身していたので、世間もファンもビックリしたそうです。
当時は、週刊誌でもかなり取り上げられたそうです。
元々顔は悪くなかったので、ダイエットだけで良かった気もしますが・・・
整形後の顔もとても綺麗だと思います。
しかし、30代後半位(?)でしょうか、
再び鼻の整形をしたようで、鼻筋がかなり細くなり形が大幅に変わっております。
またしても「誰??」といった感じに一瞬、別人に見えます。
でももっと気に成るのは、50代になった辺りから、
顔の皮がどんどんピンピンに突っ張っり、
表情も、歌ってる口元も不自然な感じに成った事ではないでしょうか。
当時、日本女性歌手史上最高の歌唱力と言われて海外でも通用する程の歌手だっただけあり、
歌のうまさは超抜群
です。
当時ならず、現代の歌手でも、これほどの歌唱力の人はそうそう居ないのではないでしょうか。
これからも元気に歌い続けて頂きたいものです。
弘田三枝子1963年 悲しきハート
弘田三枝子1969年 「人形の家」動画
弘田三枝子2005年12月31日 第38回 年忘れにっぽんの歌
↓整形経験者や 美容外科医のブログはこちらから♪

現在では、TVなどの露出が少ないので、知らない方も多いのではないでしょうか。
うちの親の時代の方なので、私もリアルタイムでは知りませんが、
1960年代、和製アメリカンポップスの大ヒットを飛ばし、
当時「日本女性歌手史上最高の歌唱力」と評価されていたそうです。
プロフィール
弘田 三枝子 (本名:高木 三枝子) 1947年2月5日生まれ 東京都世田谷区池尻出身
1961年、「子供ぢゃないの」でデビュー。当時14歳
1965年7月、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。
1969年、美容整形とダイエットで以前の面影が無くなり、世間を驚かせる。
「人形の家」で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。
1970年、「ミコのカロリーBOOK」を出版。150万部を超える大ベストセラーになる。
紅白歌合戦7回目の出場。
1973年、ブルガリア音楽祭に出場。
1976年、10年ぶりのリサイタル「Mieko in peason]を開く。
1977年、私生活で、不倫相手でギタリストの杉本氏の妻に果物ナイフで刺される。
杉本とは一昨年夏から不倫しており、杉本氏の妻は目黒区の弘田が住むマンションの前で
待ち伏せ、 タクシーから弘田と杉本が降りて来たところを、ナイフで弘田を背後から刺した。
弘田は右の脇腹に5cmの傷を負った。
アメリカに渡米。
アメリカ滞在中に結婚し、女の子を出産するが、すぐに離婚。
1980年、娘と共に帰国。
ここ近年は、おもにディナーショーなどの活動をしている。
TVでは、懐メロ番組などに登場し、
その他『徹子の部屋』 『たけしの誰でもピカソ』 『流派-R』etcに出演。
2006年、レコードデビュー45周年を記念して
「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売。
同年、22年ぶりの新曲、「恋のクンビア21」 を発売。
2007年、「MICO JAZZING」が、東南アジア13カ国で発売決定。
弘田三枝子 オフィシャルブログ・ミコブロ は、ほぼ毎日更新されている。
それでは、画像に行ってみましょう! (当時のです)
Before → After

Before → After

Before

After

整形前、けっして美人ではなかったけれど、ブスという訳でも無かった彼女が、
数年間、メディアから姿を消して再びあらわれたときは、
ぽっちゃり体系から、ほっそり体系になり
外人のような顔に変身していたので、世間もファンもビックリしたそうです。
当時は、週刊誌でもかなり取り上げられたそうです。
元々顔は悪くなかったので、ダイエットだけで良かった気もしますが・・・
整形後の顔もとても綺麗だと思います。
しかし、30代後半位(?)でしょうか、
再び鼻の整形をしたようで、鼻筋がかなり細くなり形が大幅に変わっております。
またしても「誰??」といった感じに一瞬、別人に見えます。
でももっと気に成るのは、50代になった辺りから、
顔の皮がどんどんピンピンに突っ張っり、
表情も、歌ってる口元も不自然な感じに成った事ではないでしょうか。
当時、日本女性歌手史上最高の歌唱力と言われて海外でも通用する程の歌手だっただけあり、
歌のうまさは超抜群

当時ならず、現代の歌手でも、これほどの歌唱力の人はそうそう居ないのではないでしょうか。
これからも元気に歌い続けて頂きたいものです。
弘田三枝子1963年 悲しきハート
弘田三枝子1969年 「人形の家」動画
弘田三枝子2005年12月31日 第38回 年忘れにっぽんの歌
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